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少し前のこと、私は教会内の人間関係があまりにゴタゴタしていて、すっかり嫌になってしまいました。そして、神さまにこんなことを言ったのです。

                             
「神さま、私はこんな人間関係に悩むために教会に来たわけではありません。教会に来る前はもっとのんびりとしていて、人を引き摺り下ろしたり、悪口を言ったりするような環境ではありませんでした。だから、私は元の世界に戻ります。もう教会にも行きません。祈りません。さようなら。」

 

 それから少しして、高校三年生の息子が大学受験で東京に行く日に、私もちょうど東京に出る日だったので、一緒に帰ろうと約束しました。その日一日、『試験はどうだったかな?失敗していないかな?』などと心配しながら、帰りの電車でゆっくり話そうと、待ち合わせ場所に向かいました。ところが、息子は周りの知り合に見られたら嫌だと思ったのか、ものすごく冷たい態度で、さっさと一人で帰ってしまったのです。折角一日中心配して、待っていてやったのに、置いてきぼりにされてしまい、何か寂しいような、むなしいような、力がぬけてしまう感覚になってしまいました。

 

 気を取り直して、一人で電車に1時間揺られながら、ゆっくりと今日の出来事を振り返ってみました。そして、私は気づいたのです。

『さっきの息子のつれない態度、あれはまさにこの前私が神さまにとった態度だ。そして、私が今日感じた、寂しくむなしく力がぬけてしまった気持ちはまさに神さまが感じた気持ちだったのだ。』

 

 鈍い私に、神さまは息子を通して語られました。そして、私は相変わらず教会のゴタゴタの中にいます。でも、心の中は前とは少し違うのです。私は神さまから、ここに派遣されてここで神さまの手足となって働く、という意識が芽生え、喜びさえ持って、そのゴタゴタの中にいるのです。

 

神奈川県在住 女性

 

〈 黙想のヒント 〉

 

神に対する私の祈りはどのようなものでしょう。

「たてまえ」や「〜ねばならない」から来る表面的な祈りでしょうか。

文句やぐちを含みながらも、自分の深い思いを正直に差し出す祈りでしょうか。

日々の体験を振り返る時「神様もこう感じていたのでは・・・」と気づく体験があるでしょうか。その時の神の思いを味わってみましょう。