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私は昨年暮れくらいまでの半年間、荒みの時期を過ごしていて、最も深い闇の只中にいたかもしれない。暗い夜道を歩きながらも、涙が止まらないくらいの状況で、誰も人は助けにならなかった。

「孤独というのは、誰も自分のことを理解してくれないから孤独なのではなく、自分がだれの孤独も担っていないから孤独なのだ。」と、かつてカウンセリングを受けにいらした方に渡した「ことば」が、私に還ってきた。

そんな私は、傍目には元気そうに映り、いつだって仕事を普通にこなしているように見える。その頃私は、「半年間の日々の黙想」の霊的同伴をさせて頂いていた。大震災のあった311日・・・その方も被災され、ライフラインもインフラも断たれ、避難所でも生活された。ガソリンの供給のために5時間以上も車の中で過ごされる中で、携帯でお話しを伺わせて頂いたものの、その方の心が主の平安に満たされるところまでに至らないことに、悩んだ。どうしたらいいんだろうと。私の力で、どうにも出来ないことだけが明白だった。ただ、祈った。私がその方に出来ることは何ですかと。

ふっと、浮かんできた。私には助けることはできないけれど、神様は働いて下さる。そうして、翌日から毎朝「毎日のミサ」を電話で、ふたりで祈るようになった。英神父の被災者のための祈りで始め、「毎日のミサ」を交互に読み合い、主の祈りと天使祝詞を祈り、最後に互いに祈りたいことを祈る、至ってシンプルな電話のお祈りだった。

とにかく毎朝、時にはどうしても事情が許さず夜になっても、毎日続けた。その方はすっかりお元気になられ、教会や被災された方々のために、御自分が働かれるまでになられた。そして電話でお互いに、紛れもなくイエスさまがともにいて働いて下さっていることを感じ、感謝と賛美の祈りを捧げた。

自分の罪と闇のただ中で泣いていた私こそが、救われたことをご存知なのは、神様と少数の友人である。「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」・・・主に望みを置く以外に他に何も残らなかった私に、神様は、洗礼を受けて30年目にしてやっと、主のご復活を心から体験させて下さった。神に感謝。

                 

  (千葉県在住 54歳女性)

                  

 

黙想のヒント

 

   「孤独というのは、誰も自分のことを理解してくれないから孤独なのではなく、自分がだれの孤独も担っていないから孤独なのだ。」をわたしの心に照らして味わってみましょう。

   闇の中で光を見いだした経験がありますか?そのとき、どのような出会いがありましたが?

   心の闇から光へと導いてくださる神様の慈しみと働きを味わってみましょう。