20161218160347.JPG 2017/1/22  年間第3主日 

  第一朗読  イザヤ書 8:23b-9:3
先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが

後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた

異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。


闇の中を歩む民は、大いなる光を見

死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり

人々は御前に喜び祝った。

刈り入れの時を祝うように

戦利品を分け合って楽しむように。

彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を

あなたはミディアンの日のように折ってくださった。

第二朗読  一 コリントの信徒への手紙 1:10-13、17
  兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためです。

  福音朗読  マタイによる福音書 4:12-23 △4:12-17
  イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

 「ゼブルンの地とナフタリの地、

 湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、  

 暗闇に住む民は大きな光を見、

 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」

 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

     《イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。

 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や

患いをいやされた。》




黙想のヒント

 神の救いの歴史の中で意味ある出来事には、

それにふさわしい「時」と「場所」があるようです。

そしてその「ふさわしさ」は、私たち人間の常識的な考えとは大きく異なってもいるようです。


  イエスが公に宣教活動を始めたのは、「ヨハネが捕らえられたと聞」いた時でした。

ご自分の道を準備し、洗礼を授けてくれたヨハネが、

ヘロデの結婚に苦言を呈したために牢に投げ込まれたと聞いたイエスは、

ヨハネの宣教を引き継いで発展させるご自分の使命を強くお感じになったのでしょう。


マタイが記すイエスの宣教の第一声「悔い改めよ、神の国は近づいた」は、

荒れ野でヨハネが叫んだ言葉と全く同じものでした。

自分の先駆者が時の権力者に疎まれて投獄されるという、

普通ならば自分の身の安全を恐れて心折れるのが当然な悲劇に、

イエスは時のしるしを見、神の呼びかけを聞いたのです。


 また、イエスが最初の宣教の地に選ばれたのは、

エルサレムでもローマ的な大都市でもなく、それなりの賑わいを見せる便利な場所ではあっても

「異邦人の」という形容詞がつく素朴なガリラヤ地方の町、カファルナウムでした。


 そこでイエスがまずしたのは、一緒に活動する仲間を集めることでした。

そこでもまた、イエスがついて来て欲しいと願ったのは、

地位や権力や学問がある人たちではなく、湖で働く素朴な漁師たちでした。

自然の恵みを生活の糧とする彼らにイエスが期待したことはただ一つ、

自分の力にではなく神の力にのみ依り頼む素朴で純粋な信仰だったのではないかと思います。

その彼らとともに、彼らを通して、イエスは神の国の良き知らせを伝え、人々を癒されたのです。


 私たちも、現代の「暗闇」と「死の陰の地」に

神の光をもたらすイエスの宣教の協働者となるために呼ばれています。

今の私に、イエスは何を望まれるでしょう。

それぞれが置かれた場で、時のしるしを見、神の呼びかけを聞いてそれに応えていく恵みを、

今日あらためて祈り求めたいと思います。

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(日曜日のみことば 2017-01-22)
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