20170123214610.jpg 2017/2/26  年間第8主日 

  第一朗読  イザヤ書 49:14-15
シオンは言う。

主はわたしを見捨てられた

わたしの主はわたしを忘れられた、と。

女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。

母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。

たとえ、女たちが忘れようとも

わたしがあなたを忘れることは決してない。

第二朗読  一 コリントの信徒への手紙 4:1-5
 (皆さん、)人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。

福音朗読  マタイによる福音書 6:24-34
 (そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。  

 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」



黙想のヒント

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。

あなたがたは、神と富(=マンモン)とに仕えることはできない。」

マタイの使っている“マンモンという言葉は、

富やお金よりも広い、人生の全てに安定、頼りになる物を指している。

言い換えれば、イエスの弟子は“、あるいは“神でない物(=富や、金など)”

どちらかを人生の“よりどころ”にするように迫られている。


この“マンモン”のことばは、619-24のいましめの結びである。

イエスは弟子たちに「神と富とに同時に、執着することはできない」と教える。


 ユスト高山右近の列聖式を受けて、この福音の言葉で、彼の選んだ信仰の道が連想された。

秀吉に棄教を迫られたとき、大名職も領地も名誉もすべて捨てて、

キリストのへりくだる生き方を選んでいきます。

「キリスト教を捨てよ、ということに関しては、たとえ全世界を与えるからと言われても、

真の救いと引き換えには出来ません。」

これが、秀吉の使者に対する右近の返答だった。


 イエスは、「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、

また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。」

「思い悩むな」はここに6回出てくる。

25節において、命は食べ物と、体は衣服と対比されているが、食べ物と衣服は労働の実りに属するが、

命と体はどうであろうか。


 イエスは二つのイメージをもってこの問いに答える。

「あなたがたの天の父は空の鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

天の父はこの花たちを着飾ってくださる。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、

神はこのように装ってくださる。まして、たとえ信仰の薄い者たちであったとしても、

あなたがたにはなおさらのことではないか。」


 31-34節はイエスの教えの結論になる。

あなたがたは天の父に愛されており、

天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

だから、イエスは勧める。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。

その日の苦労は、その日だけで十分である。」


 この間、ノン・クリスチャンの若いお母さんは、家族の大きな試練の中で、

この心を手紙で、伝えてくれた。

「……まだまだ学びが足りませんが、自分を信じ、家族を愛し、

毎日、丁寧にそしてすべてに感謝の気持ちを持って過ごしていきたいです。」

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(日曜日のみことば 2017-02-26)
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