20170508153602.JPG 2017/6/11  三位一体の主日(祭日) 
                

  第一朗読  出エジプト記 34:4b-6、8-9
 (その日、)モーセは朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち(た者)」
モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

第二朗読  二 コリントの信徒への手紙 13:11-13
 兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。

 すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。

福音朗読  ヨハネによる福音書 3:16-18
 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。




黙想のヒント

今日の福音を読みながら、神様がどのように、また、

どれほどこの世に生きている私たちを愛しておられるか、

思いめぐらすことができると思います。

今日の話を書いた使徒は、

自分の福音書の最後に、

自分を“主に最も愛された弟子”と呼んでいます。

主の愛を、いっぱいに受け取った人。ヨハネ。


そのヨハネの今日の言葉はとても短いですが、とても深い

とても単純ですが、とてもはっきりしていると感じます。

神様の愛が、どれほど大きく、広く、深いか・・・。

そのことを、ヨハネはこの短い言葉で

私たちに伝えてくれています。

そして、神様の愛を受けとるのに必要な条件となるものは

物質的・物理的には明らかに何もなく、

ただ、“信じること”が必要だということ。

神様の愛は、私たちの思いを先に行くということ・・・。

そのことを、ヨハネは

「神は、その独り子をお与えになったほどに、

世を愛された。独り子を信じる者が

独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

と言っています。

 

また、次のヨハネの言葉

「神が御子を世に遣わされたのは、

世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者は裁かれない。

信じない者は既に裁かれている。」

を読みながら

創世記6章のノアの箱舟の物語を思い出しました。

ノアの時代の洪水・・・

それは、神様の涙。神様を信じない人たちを見て泣かれる、その涙の雨。

あまりにも悲しくて止まらなかった、神様の涙。

神様の思いは、

いつの時代であっても、裁きではないと感じます。

しかし、愛を信じてもらえない時、

愛は辛さとなり悲しみとなります。

神様を信じたノア。

そのノアの姿を見て、神様の涙の洪水はやみ

希望のしるしである虹に変わったのです。

 

今日の福音の言葉、

主に愛された使徒ヨハネの言葉を

繰り返し、繰り返し、

こころに響かせ刻みましょう。

 

「神は、その独り子をお与えになったほどに

世を愛された。」

 

そして聖霊の力で、“信じる者”へと

変えられていきますように。

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(日曜日のみことば 2017-06-11)
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