20170506153634.JPG 2017/6/18  キリストの聖体(祭日) 

  第一朗読  申命記 8:2-3、14b-16a
 (モーセは民に言った。)あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
 主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、炎の蛇とさそりのいる、水のない渇いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。

  第二朗読  一 コリントの信徒への手紙  10:16-17
 (皆さん、)わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。

福音朗読  ヨハネによる福音書 6:51-58
 (そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。)「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」



黙想のヒント

 イエス・キリストは自らを「天から降ってきた生きたパン」であると説明します。


二千年前、イエスは、当時のイスラエルの群衆からは「立派な先生」とされて

尊敬されていました。そして、イエスは、数多くの人々から

「イスラエルの王」としても理解されていました。


しかし、イエス自身は、自分のことを「天から降ってきた生きたパン」である

と定義づけたわけです。

「立派な先生」や「王」という、民衆から見たイエス像は、

イエス御自身の使命感を説明するには、いささか物足りないものであり、

イエスのほんとうの姿を表現しきれていません。

人々は、あまりにも人間的な視点からしかイエスを見ていなかったのです。

ですから、人々は自分たちの考えに振り回されているにすぎず、

実は心の通い合うような仕方ではイエスとは出会っていませんでした。

言わば、本筋からずれてしまっていたのでした。


 イエスが自分自身をどのように理解していたのかが、

「天から降ってきた生きたパン」という説明の仕方が明確に物語っています。

つまり、イエスは「地上から生まれ出たような枯れた英雄」などではないのです。

むしろ、「神のもとから人間のほうへとへりくだって、

出会う相手に対していのちをもたらす糧」として、

イエスは人びとの前に現われています。


神が、苦難のなかで生きている相手を

確かに支えてくださるという尊い伝統の立場は、

アブラハムの旅路を振り返ればわかることですし、

モーセが活躍していたときのマナの出来事からも理解できます。

イエスの活躍は、神による人間に対するかぎりない慈しみのわざを

想い起させるためのものです。

イエスは自己宣伝をするために来たのではありません。

むしろ、あらゆる人に対して、

神の慈愛を想い出させるためにイエスは来たのです。


 今日、教会は「キリストの聖体」を記念しています。

イエス・キリストは、いにしえのイスラエルの民を支えた

神の慈愛の出来事の最高の頂点であるとともに、

新たなる愛情の共同体である教会の源泉でもあるのです。

つまり、旧約時代の「マナ」は新約時代の「イエスの到来」に洗練されつつも

教会の時代の「キリストの聖体」として発展してきたのです。


ミサのなかで、キリスト者は聖体を拝領します。

神の慈愛の歴史的な結晶化の連続性と高まりを身に受けた私たちは、

あらゆる人びととの連帯を実感することになるのです。

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(日曜日のみことば 2017-06-18)
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