20170508164100.JPG 2017/7/9  年間第14主日 

  第一朗読  ゼカリヤ書 9:9-10
 (主は言われる。)

娘シオンよ、大いに踊れ。

娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。

見よ、あなたの王が来る。

彼は神に従い、勝利を与えられた者

高ぶることなく、ろばに乗って来る

雌ろばの子であるろばに乗って。

わたしはエフライムから戦車を

エルサレムから軍馬を絶つ。

戦いの弓は絶たれ

諸国の民に平和が告げられる。

彼の支配は海から海へ

大河から地の果てにまで及ぶ。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 8:9、11-13
 (皆さん、)神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

 それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。

福音朗読  マタイによる福音書 11:25-30

 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」




黙想のヒント

“天地の主である父よ・・・これらのことを・・幼子のような者にお示しになりました。”
このみ言葉を味わいながら、ある黙想会に参加した時のことを思い出しました。黙想を始める時、私はいつも何かしらの期待と不安をもち緊張して過ごす事がありますが、指導してくださる方が次の様なアドバイスを下さいました。


「黙想は頑張って祈るのではなく、神からの恵みに気づかせて頂くことです。」
イエスの言う様に、“幼子のようになる”という事はとても大事で
信仰の原点の様なものなのでしょう。


“私の軛を負い、私に学びなさい。私の軛は負いやすく、私の荷は軽い。”
このみ言葉を味わっている時、初めは「実に解りにくい」という印象があり、軛が負い易く軽いなんて事が本当かと疑問に感じたりしました。しかし、祈っているうちに、段々と・・・。イエスの言う“軛”とは、文字通りの「牛馬の首に掛け車を引かせる横木で思考や行動の自由を妨げる物」という重苦しく背負うのに辛いものではなく、目には見えないがとても大切な心のつながりのことであり“疲れた者重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう”とイエスが言っている様に、人の心を安らかにし心を軽くしてくれるそんな軛なんだ、と気付かされました。


“私は柔和で謙遜な者。”そう。イエスはまさに、そのようなお方です。

g-hint.gif
(日曜日のみことば 2017-07-09)
http://seseragi-sc.jp/xe/files/cache/thumbnails/909/349/100x75.crop.jpg