20170522140502.JPG 2017/7/16  年間第15主日 

  第一朗読  イザヤ書 55:10-11
 (主は言われる。)

雨も雪も、ひとたび天から降れば

むなしく天に戻ることはない。

それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ

種蒔く人には種を与え

食べる人には糧を与える。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ

わたしが与えた使命を必ず果たす。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 8:18-23
 (皆さん、)現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

福音朗読  マタイによる福音書 13:1-23△13:1-9
 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

  《弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

 だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」》




黙想のヒント

実を結ぶ種。神からの呼びかけは、決して無駄にはなりません。必ず、何らかの実りをもたらして豊かなよろこびを実現するような実力を備えています。


しかし、受け容れる土地によって、種の成長の度合いは異なります。神は、あらゆる相手に対して平等に呼びかけています。種としての神のみことば。しかし、私は、ときとして神の呼びかけをはねのけてしまう場合があります。かたくなな心は、まるで岩だらけの土地のようです。


だからこそ、いつでも、心をやわらかく耕しておくことが欠かせません。柔軟な姿勢で、彼方からの呼びかけを受け容れる準備をすること。うめきながら、待つこと。神の子どもたちの栄光に輝く自由の実現を願いつつ、ひたすら待ち望むことが、私たちには欠かせないのです。


神からの呼びかけをすなおに受け容れるときに、人びとは、それぞれの素質に応じて実を結びます。神の呼びかけが、あらゆる相手に対して平等に与えられているにせよ、受け容れる私たちの心の状態に応じて、神のみことばの展開の仕方は千差万別の様相を呈してゆくのです。


 私たちは、自分の至らなさに気づいていない場合が多いのでしょう。だからこそ、いつでも、どうして私は実を結ぶことができないのでしょう、と神に対する不平をつぶやくのです。そして、まわりの人と自分とを比較して悔しさをにじませ、行き場のない怒りに燃えるのです。こんなにも頑張っているのに、どうして私よりもあの人のほうが豊かな実りを得ているのでしょう、と文句を述べたくなるわけです。


それでも、神は、今日も、また呼びかけています。決して諦めることなく、神は、ひたすら愛情深い呼びかけを響かせつづけているのです。決して偏ることなく、常にあらゆる相手に対して平等に関わる寛大な神からの呼びかけは、イエス・キリストの「たとえ話」によって私たちの心に深く残ります。イエス・キリストによる「謎」に満ちた独特な語り口調は、今日も、私たちの心に食い込んで、新たな意味づけを絶え間なく生み出してゆきます。


 


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(日曜日のみことば 2017-07-16)
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