20170825101400.jpg 2017/10/15  年間第28主日 
                
  第一朗読  イザヤ書 25:6-10a
万軍の主はこの山で祝宴を開き

すべての民に良い肉と古い酒を供される。

それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。

主はこの山ですべての民の顔を包んでいた布と

すべての国を覆っていた布を滅ぼし

死を永久に滅ぼしてくださる。

主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい

御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。

これは主が語られたことである。

その日には、人は言う。

見よ、この方こそわたしたちの神。

わたしたちは待ち望んでいた。

この方がわたしたちを救ってくださる。

この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。

その救いを祝って喜び躍ろう。

主の御手はこの山の上にとどまる。

 

 第二朗読  フィリピの信徒への手紙 4:12-14、19-20
 (皆さん、わたしは、)貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

福音朗読  マタイによる福音書 22:1-14 △22:1-10
 (そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに)たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。

  《王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」》




黙想のヒント

 神は人間を救い、強めます。誰にでも、わけへだてなく。神の寛大さには際限がありません。たとえば、イザヤ書のなかで、神がすべての人に対して祝宴の席へと招いてくださることが強調されています。ところが、人間のほうは、神の寛大さに気づかなかったり、自分の都合で動いてしまうので、いつのまにか神の働きをはねのけてしまっていたりします。人間は、自分から祝宴への参列を断ってしまい、ひもじいおもいをするようになるわけです。つまり、自分で損な生き方を選び取ってしまうことになります。


 神は常に働きつづけます。しかし、人間は神の働きを気に留めていない場合があります。そして、人間は神の働きを意図的に拒絶する場合もあります。祭司長や民の長老たちは、まさに、自分たちの立派な行いを洗練させて、人生を自分たちの厳格なふるまいをとおして整えることに躍起になっています。それゆえに、自分にとっての物の観方にこだわっており、自己満足におちいっています。そして、自分の基準からずれている他者を軽蔑していたり、あるいは馬鹿にしていたりします。つまり、いつのまにか自分のことを神に代わる裁き手として、物事を判断する際の基準に据えてしまっているわけです。


 ところが、イエスはイスラエルの指導者たちに対して、神の寛大さに注目するように、たとえ話を語り聞かせます。神は、常に相手のことをおもい、支えようとしており、相手を主役に据えて物事を眺めようとしています。その相手おもいのふるまいは、自己中心的に物事の意味を狭く判断する宗教的なエリートの頑固さとは逆方向に向かうものです。


 神は相手のことを大切にします。神は、常に相手を最優先して、自分のふるまいかたを決めます。御父である神のおもいを最も深く理解していた御子イエスもまた、出会う相手を常に最優先して支えてゆきます。今日もまた、福音朗読箇所を読むことで、イエスの呼びかけを心に留めて、相手を最優先する姿勢を再確認することが、私たちの歩みを愛情に満ちたものとして高めるのではないでしょうか。

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(日曜日のみことば 2017-10-15)
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