20171118144125.jpg 2017/12/17  待降節第3主日 

  第一朗読  イザヤ書 61:1-2a、10-11
主はわたしに油を注ぎ

主なる神の霊がわたしをとらえた。

わたしを遣わして

貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。

打ち砕かれた心を包み

捕らわれ人には自由を

つながれている人には解放を告知させるために。

主が恵みをお与えになる年

わたしたちの神が報復される日を告知(させるために。)

わたしは主によって喜び楽しみ

わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。

主は救いの衣をわたしに着せ

恵みの晴れ着をまとわせてくださる。

花婿のように輝きの冠をかぶらせ

花嫁のように宝石で飾ってくださる。

大地が草の芽を萌えいでさせ

園が蒔かれた種を芽生えさせるように

主なる神はすべての民の前で

恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。


第二朗読  テサロニケの信徒への手紙 一 5:16-24
 (皆さん、)いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。

 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。


福音朗読  ヨハネによる福音書 1:6-8、19-28
 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。

 「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。

 『主の道をまっすぐにせよ』と。」

遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。




黙想のヒント

 「私は主によってよろこび愉しむ」。第一朗読からも明らかなように、私たち人間は神の望みに沿って生きるときに、ほんとうのよろこびを実感して愉しむことができるようになります。なぜならば、相手のしあわせを最も強く願っているのが、神だからです。


私たち人間は自分たちの都合にもとづくよろこびでは満たされません。自分勝手なよろこびを追求したとしても、一時的な快楽しか得られません。飽きてしまうわけです。


しかし、神といっしょに歩んでいるときに、私たちは相手から支えてもらえる安心感を身に覚えます。イスラエルの預言者たちは、相手のしあわせだけを願って関わりつづける神といっしょに生きることを伝えようとして必死に動き回ります。


  「キリストにおける、よろこび、祈り、感謝」。第二朗読には、キリスト者の歩みが集約されています。キリストのように、よろこび、祈り、感謝するときに、キリスト者は最も充実した生き方を深めることができるようになります。それが神の望みです。


この箇所に出てくるよろこびとは、ギリシア語原文では「カイレテー」という呼びかけのあいさつです。それは、ちょうど復活のイエス・キリストが婦人たちに対してかけたあいさつと同じです。「やあ」「元気か」「おはよう」「こんにちは」「ご機嫌いかが」。日常のあらゆる場面で繰り返される親しさのこもった呼びかけです。その呼びかけは、相手のしあわせを祈る気持ちのあふれであり、いっしょに生きることへの感謝の念の表明でもあります。


キリストは生きているときも、死後も、いかなるときであっても相手のことを気にかけています。一貫した愛情を注ぐキリストの態度を受け継ぐのがキリスト者の共同体の使命です。


  光についてあかしをするために生きる洗礼者ヨハネ。つまり、あらゆる人を照らし温める希望の光そのものとしてのキリストを示すのがヨハネの役割でした。キリストを主役として、その到来を準備するヨハネの謙虚さと身のわきまえかたは見事です。この姿勢は社会生活のあらゆる場面でも役立ちます。私たちも後から来る子どもたちの活躍に備えて、前もって道を整える工夫をすることで、新たな時代を実現させることができるのでしょう。

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(日曜日のみことば 2017-12-17)
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