20171125154459.jpg 2017/12/31  聖家族  祝日 
  第一朗読  創世記 15:1-6、21:1-3   △シラ3:2-6,12-14
 (その日、)主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。

 「恐れるな、アブラムよ。

 わたしはあなたの盾である。

 あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」

 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」

 見よ、主の言葉があった。

 「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」

 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」

 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

(やがて、)主は、約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われたので、 彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付け(た。)


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  • 第二朗読  ヘブライ人への手紙 11:8、11-12、17-19     
     (皆さん、)信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
     信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。


  • 福音朗読  ルカによる福音書 2:22-40   △2-22、39-40
     モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
  •  《それは主の律法に「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
  •  そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。        
  •   「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
  •   この僕を安らかに去らせてくださいます。
  •   わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
  •   これは万民のために整えてくださった救いで、
  •   異邦人を照らす啓示の光、
  •   あなたの民イスラエルの誉れです。」
  •  父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
  •   ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます
  •   ――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
  •  また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。》
  •   親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。




  • 黙想のヒント

    家族は、私たちにとって最も身近で、最も小さい共同体です。

     

    イエスにとって初めての共同体は、父ヨセフと母マリアとの家族でした。

    ベツレヘムという町の片隅にはじまった、小さな家族。

    しかし、小さくても、あたたかな光を放ち、

    その家族を囲んで、羊飼いと羊たち、博士たちや動物たちが集いました。

     

    こうしてこの世にお生まれになったイエスは、

    私たちが皆、家族であることを教えてくれています。

    父である神の子どもとして生かされている私たちは、

    同じ父をもつ兄弟姉妹であり、家族です。

     

    しかし家族であるということは、良いことばかりではありません。

    知人や友人とは違って、良いところと同じだけ、悪いところも知っています。

     

    今年一年を思い返すと、嬉しかったことや喜んだ記憶と同時に、

    悲しみや悔しさの記憶も蘇ります。

    ともに喜び、ともに悲しむ。

    笑顔に救われるときもあれば、傷つけ合ってしまうときもある。

    強さも弱さも知っている。

    そんな関係が家族ではないでしょうか。

     

    私たちは、一人ひとりが皆、父なる神に愛されている子どもです。

    キリストに呼び集められて結ばれた私たちは、

    血縁をこえて、兄弟姉妹となり、家族となりました。

    そして、一度家族になったなら、そのつながりは消されることがありません。

     

    家族であるということ。

    それは、良いところだけでなく弱さをも認め合い、

    互いのいのちに仕え合って生きるということなのではないでしょうか。

    イエスが生まれ育ったささやかであたたかな家族のように、

    その光を求めて自然と人々が集うような家族、共同体でありたいと思います。

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    (日曜日のみことば 2017-12-31)
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