20180303133853.jpg 2018/3/25  受難の主日(枝の主日)    

  第一朗読  イザヤ書 50:4-7
 主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え

疲れた人を励ますように

言葉を呼び覚ましてくださる。

朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし

弟子として聞き従うようにしてくださる。

主なる神はわたしの耳を開かれた。

わたしは逆らわず、退かなかった。

打とうとする者には背中をまかせ

ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。

顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。

主なる神が助けてくださるから

わたしはそれを嘲りとは思わない。

わたしは顔を硬い石のようにする。

わたしは知っている

わたしが辱められることはない、と。


第二朗読  フィリピの信徒への手紙 2:6-11
 (イエス・)キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。


福音朗読  マルコによる福音書 15:1-39、△14:1-15:47

夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。ピラトがイエスに問した。

「お前がユダヤ人の王なのか」

イエスは、答えられた。

「それは、あなたが言っていることです。」

そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。ピラトが再び尋問した。

「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」

しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。

ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。そこで、ピラトは、言った。

「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」

祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて、言った。

「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」

群衆はまた叫んだ。

「十字架につけろ。」

ピラトは言った。

「いったいどんな悪事を働いたというのか。」

群衆はますます激しく叫びたてた。

「十字架につけろ。」

ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、

「ユダヤ人の王、万歳」

と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、

 その服を分け合った、

 だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。

「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」

同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。

「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」

一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」

これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、

「そら、エリヤを呼んでいる」

と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、

「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」

と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。


すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て言った。

「本当に、この人は神の子だった。」




黙想のヒント

「 エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」


十字架の上でイエスは、どんな思いでこの言葉を口にされたのでしょうか。


同胞の権威者たちから疎まれ、弟子たちにさえ裏切られて、ほんの少し前には着ていた服を道に敷いてまで歓呼のうちに自分を迎えた群衆の狂気の叫びに囲まれたイエス。


誰も彼もが闇の力に飲み込まれて、目先の保身のためだけに動き、イエスに罪はないと分かっていながら群衆の歓心を買うために死刑の執行を許す「無力な権力者」ピラトの決裁で、たった一人でむごい刑罰を受けて死んでいくイエス。


その絶望の底から、イエスは御父に向かって叫ばれるのです。


「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」


それはしかし、単なる絶望の叫びではなかったと、多くの聖書学者とともに、私も思います。その叫びは、当時の成年ユダヤ人であったイエスが完全に暗唱していたはずの、詩篇22の冒頭の言葉だからです。


詩篇22は、虫けらのように扱われ、全世界から見捨てられたかのような苦しみの中にいる人が、苦難のただ中で神への信頼を奮い立たせながら神に助けを求め、最後は神を賛美するに至る、神への絶対的な信仰を告白する詩篇です。その最初の叫びを口にしたイエスの心には、絶望の先の賛美に向かっていく詩篇作者の思いがそのまま重なっていたに違いありません。


また、たった一人、「イエスの方を向いて、そばに立」ち、イエスが本当に神の子であったことを見抜いたのが、異邦人である百人隊長であったことにも心を留めたいと思います。


私たちも、人生の歩みの中で、もう駄目だと思うとき、もう絶対に無理だと思うときに、それでもなお神に向かって叫ぶことのできる信仰が求められているでしょう。どんなに絶望的な状況の中にあっても、先にその経験を通られた神の子イエスを見つめ、すべての力の源である神への信頼を失うことがないように、また希望を持って歩み続けることが出来るように、今日あらためて、神の助けを願いたいと思います。

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(日曜日のみことば 2018-03-25)
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