20180324114316.jpg 2018/4/15  復活節第3主日 

  第一朗読  使徒言行録 3:13-15、17-19
 (その日、ペトロは民衆に言った。)「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。
 ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」


第二朗読  一 ヨハネの手紙 2:1-5a
 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。

 


福音朗読  ルカによる福音書 24:35-48
 (そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、)道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。



黙想のヒント

神が正しい人を必ず活かしてくださる、という呼びかけを使徒ペトロが民衆の前で明らかにしています。ペトロは恩師のイエスを助け出せない痛みを、いやというほど味わいました。挫折と申し訳なさにさいなまれていたペトロ。しかし、そのペトロが神のわざの偉大さに最も敏感に気づいています。人間には不可能であっても、神に出来ないことはない、という確信をしっかりといだいていたペトロこそが、今も生き続けているイエスを世界中にあかしする先駆者となったのです。


使徒ヨハネは、限界のある私たちの弱さをしっかりと支えてくださるイエス・キリストの力強さを信じています。私たちにはどうにもできないことであっても、イエス・キリストが確かに私たちを最良の状態へと導いてくれる、という確信がヨハネにはありました。ヨハネの手紙の行間からは、あらゆる人の罪をすべて背負って、立ち直らせてくれる「いけにえ」としてのイエス・キリストの誠実で圧倒的な愛情の大きさが伝わってきます。


ミサのなかで、まず神のことばを聴き、その後にパンを割いて分かち合うキリスト者。今も生き続けているイエス・キリスト。敵対者たちのわなにかかった恩師イエスが永遠に滅びてしまったと早合点して勝手に落ち込んでいた弟子たちに対してイエス・キリストはしっかりと寄り添い続けます。常にそばにいて、相手の心を燃え立たせる支え役としてのイエス・キリスト。


「あなたがたにシャローム(平安・平和)があるように」というイエス・キリストの呼びかけは、「もう安心してよい」という力強い励ましのひとことです。恩師に先立たれたと早合点して、敵対者たちの追撃を恐れて縮こまっていた弟子たちにとって、「もう安心してよい(シャローム)」という呼びかけは一番聴きたかったひとことでした。イエス・キリストは、常に、相手が一番待ち望んでいることをかなえてくれる実力者です。私たちもミサのなかで「平和のあいさつ」をします。そのあいさつは、単なる社交辞令などではなく、もっと意味のあるふるまいなのです。あなたを安心させてくれるイエス・キリストからの愛情深い呼びかけなのですから。復活の出来事は、相手に安心感を与えることです。私たちも「平和のあいさつ」を丁寧に行うことで相手に安心感を与えることができます。復活したイエスをあかしすることは、まさに安心感のうちで生きることに他ならないのでしょう。


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(日曜日のみことば 2018-04-15)
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