20180526093748.jpg 2018/6/17  年間第11主日 


  第一朗読  エゼキエル書 17:22-24
 主なる神はこう言われる。わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。」主であるわたしがこれを語り、実行する。


第二朗読  二 コリントの信徒への手紙  5:6-10
 (皆さん、わたしたちは天に永遠の住みかが備えられていることを知っています。)それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。


福音朗読  マルコによる福音書 4:26-34
 (そのとき、イエスは人々に言われた。)「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」

 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。




黙想のヒント

 育つことの不可思議さ。人間は、神の導きによって様々な場に置かれて、ゆっくりと成長してゆきます。そのときそのときの各人の生き方は、その場に適した環境順応型の歩みでありつつも、常に見えない神の愛によって支えられています。人間は、必ず前進しており、いつのまにか、さまざまなことが出来るようになっています。


 人は、自らの生き方に対する責任を負いつつも、神に信頼する姿勢を深めることで、次第に清められて、純粋になってゆきます。そのような仕儀(しぎ)において成長が実現するのです。つまり、人間が神に信頼すればするほど純粋さが極まります。


 ところで、神の国は、人間の心の底でしっかりと根を張って確実に深まりゆく神の愛の力そのものです。そして、人が成長して神へと近づいてゆけるのは、ひとえに神の愛の力に満たされているからです。神こそが、ひそかにひとりひとりの心の底で働きつづけています。ふだん、あまり気づかれることがなくとも、神の愛の力は着実に広がっています。ひそやかな着実さ。それが、神の愛の力の特長です。人知れず、いつでも誠実に相手を見守って、寄り添う神が確かに存在することを、イエス・キリストが弟子たちに語り聞かせています。


 私たちは、今日、まさに、このとき、自分の心の底で働きつづけている神の愛のゆるぎない力に信頼して、前向きに進んでゆきたいものです。神は、私たちひとりひとりが確実に成長して、自分の弱さや限界から解放されてゆくことを切望しているのですから。




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(日曜日のみことば 2018-06-17)
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