20180714154158.jpg 2018/8/19  年間第20主日 

  第一朗読  箴言 9:1-6
知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。

獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え

はしためを町の高い所に遣わして

呼びかけさせた。

「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」

意志の弱い者にはこう言った。

「わたしのパンを食べ

わたしが調合した酒を飲むがよい

浅はかさを捨て、命を得るために

分別の道を進むために。」


第二朗読  エフェソの信徒への手紙 5:15-20
 (皆さん、)愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。


福音朗読  ヨハネによる福音書 6:51-58
 (そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。)「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」




黙想のヒント

 あらゆる人を生かすために、イエスは来られました。言わば、イエスは相手を活かすいのちの「たべもの」として自分自身を捧げ尽くしたのです。


 人が生きるためには、力づくで他の生き物を殺してまでも、相手を食べねばなりません。つまり、「たべもの」とは、殺されていった生物の姿なのです。魚や牛や稲などのいのちを奪い取って食べることで、人は生きることができます。まさに、生きることは、殺すことに他なりません。生き物のいのちを奪わなければ生きていけないのが自然界のあらゆる生物の宿命です。


 しかし、イエスは、自然界のあらゆる生物の宿命を逆転させるような驚くべきわざを行ってくださったのです。自らのいのちを与えつくして相手を活かす。――これこそが、新しい生き方そのものです。生きるために相手を殺して、そのいのちを体内にとりこむという現世の哀しき自然法則を乗り越えて森羅万象を救いの関わりへと変容させていく神のわざがイエスによって実現したのです。これこそ、神の愛情の現われとしての最高のしるし、奇跡、あまりにも深い智恵だと言えるでしょう。愛情のおもいにもとづいていのちを捧げ尽くす十字架の死を眺めるときに、そこに「森羅万象の救いの関わりへの変容」あるいは「新しい生き方」を発見することが大切なのかもしれません。


 実に、「感謝の祭儀」(=エウカリスティア=ミサ)こそは、主イエスを通して示された神のおもいが明らかになるひとときです。パンとぶどう酒を捧げることによって、十字架の上に挙げられたイエスの姿を垣間見ることになるからです。「まことのいのちのたべもの」としてのイエスの全存在を体験する場が「感謝の祭儀」なのです。生きるために「主のからだ」をいただく貴重な場が「感謝の祭儀」なのですから、これほどのチャンスを逃すわけにはいかないでしょう。しかし、ユダヤ人をはじめとして、ミサをあまり大切にしていないときもあり得る私たちは、貴重なチャンスを真剣に受けとめてはいないのかもしれません。自己中心的な視点で生きているときには、福音書のなかに登場するユダヤ人たちのようにイエスの言葉をいささかも理解することができないのです。


 何とかしてあらゆる人間を助けたいという切実な神の愛情のおもい。その深いおもいを体現してくださった主イエス・キリスト。まことのいのちのたべものとしての主のからだを食べることで、いのちを捧げ尽くす新たな生き方があることを実感する私たち。――いのちをいただいた人は、ひたすら感謝するしかないのでしょう。第二朗読で、パウロが詳しく説明してくれているように。


 人間があらゆるいのちを奪いながら自己の野望をエスカレートさせていくという世の中の趨勢がますます勢いづく昨今、それでも、今日も「感謝の祭儀」のなかで神が「いのちのたべもの」として人間を活かしつづけています。

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(日曜日のみことば 2018-08-19)
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