神との親しさは恵み 2
2.神は絶対的な愛です

 絶対的な愛、というのは、条件なしに愛する愛です。私が義人であろうとも、悪人であろうとも、神が今の私を受け入れるだけでなく、私を待ちこがれていて下さる。放蕩息子にされたように、私と親しく晩餐会を開きたいのです(ルカ15・11-32参照)。
 しかし、このような無条件な愛を受け入れることは非常に困難です。それは神以外にこんなに強い絶対的な愛で愛される方がないので、私たちには、その体験もイメージも概念さえもないのです。そして私たちは、自分が自分を受け入れていないだけでなく、人々からの愛も受け入れていない状態です。その閉ざされた自分のままでは、ありのままの神を受け入れるために大きな妨げとなります。
 祈りを始める時には、――たとえ自分自身がいやになる時でも、神との親しさを抱くどころか神に向かって祈る資格さえないのではないかと思う時でも――、神が今、ありのままの私を受け入れ、求め、愛してくださるという信仰を呼び起こす必要があります。たぶん、何回その信仰を呼び起こしても足りないのかもしれません。特に自分の否定的な感情が強い時、信仰だけでは足りず、自分の中に肯定的な明るい感情を受け入れる必要があります。
 神の愛の内にくつろぐために、呼吸を整えたり、前述の観想的な祈りの方法が役に立つでしょう。あるいは、そのような感情を呼び起こしてくれるような聖歌「主は豊かなあがないに満ち」(典礼聖歌113番)、「主よあなたの愛は永遠」(典礼聖歌122番)等を何回も繰り返すことは、愛を受け入れる態度や感情を呼び起こす助けになります。
 ある人は、神が自分の前にではなく、自分の後ろにおられ、恋人のように迎えて下さる感情を味わいます。
 とにかく私が、ありのままの自分を受け入れて下さっていると信じないで、神を恐れているなら、本当の神に向かっていないのです。神を誤解しているなら、神との親しさを感じ取ることができないのは当然ですし、そのままで神と親しくなることも不可能なのです。
イシドロ・リバス 著 「祈りを深めるために(その1)―自分の人生の中で―」(新世社)
『神と親しくなるために』 より
写真: 山野内 倫昭
(生活の霊性-祈りを深めるために 26)