一、願いの祈り
 願いの祈りは、多分、いちばん多くの人々が実践しているものでしょう。それは、学校で手助けを願う学生の祈りであり、病気の子供の回復を願う父親の祈りであり、また、夫とのかかわりに問題を抱えている妻の祈りでもあるでしょう。私たちは自分自身が何かを必要としていたり、友人が困難に遭遇している時など、神に祈ります。危機の時には、助けを求めて、神に近づきます。

 もちろん、願いの祈りには聖書的基盤があります。預言者イザヤは次のように言っています。  
「同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
 白髪になるまで、背負って行こう。
 わたしはあなたたちを造った。
 わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46・4)

 新約聖書では、イエスは、私たちが必要としているものを全て神に言い表すことが大切であると強調しています。ヨハネ福音書16章24節で、イエスは弟子たちに「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」と言いました。使徒ヤコブは、願う祈りをささげなかったために、神の祝福を味わえなかった人々を非難しています。
「得られないのは、願い求めないから(です)。」(ヤコブ4・2)
 このような聖書のテキストから、神は私たちの関心事を聴きたいと願っているのだとわかります。「私に話しなさい。願いなさい。あなたが必要としていること、望んでいることを、そのまま私に話しなさい。」と神が言っているのが示されるのです。
(生活の霊性-祈りの七景 1)