トロントでの友情と愛
 「信じているのが、キリスト教の神様かどうか分からないんです。(今まで知っていた)神社などの神様のような気もするんです。」と、分かち合いのグループで求道者のNさんは、話してくれました。私も大人になってからキリスト教に出会ったので、Nさんに何とかして私の感じている神様について伝えたいと感じました。そして次のように言いました。「私も小さい頃から、神社の神様や、仏様やお地蔵さんなどによくお願いごとをしていたけれど、これらの神様から語りかけられていると感じたことがなかったの。でも、すごくうれしかったのは、私のこと『多くの中の1人』ではなく、『1人のかけがえのない人』として知っていてくれて、名前を呼んでくださる神様だということだったのよ」でした。
 キリスト教との最初の出会いのころ、イエス様から名前を呼ばれたという体験は、私を絶望と暗闇から救ってくれました。1人っきりで寂しさのどん底だった私に、光が与えられた一瞬でした。
 トロントで、私たちが滞在していたSt.Josephat小学校の壁に、先生方のための祈りが貼ってありました。
イエス様には体がありません。
 だから私の手を、
 私の足を、
 私の目を、
 私の耳を、
 イエス様がお使いになり、子供たちのために働かれるように捧げましょう
 という祈りでした。
 私もこのWYDの間、たくさんの人の名前を呼びました。私の声を通してイエス様が多くの名前を呼ばれると信じて。
 そしてほんとうに嬉しかったのは、数は多くないけれど、私の名前を呼び続けてくださった友達の存在でした。私は、その友達を通してイエス様の優しさに包まれる思いがしました。WYDで、神様やたくさんの方々から受けた愛について、日本に帰ってから分かち合える恵みを願っています。
WYD参加青年: 奥田 知香(東京教区)
(特集-ユース 6 2002/8/9)

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