父との和解
 父が亡くなってから、もうじき15年が経とうとしている。
 父といっても養父であり、血の繋がりはないけれど、私にとって「父」と呼べる存在は、やはり生涯で彼ただ1人だと思う。私は自分の血縁関係者を1人として知らない。実の両親すらも。私が生まれたその日に、養子縁組がされたからである。
 しかし、父は子どもを育てるには、向かない人だった。何よりアルコールが好きで、今にして思えばアルコール依存症だったのだろう、父の全くの素面の顔はついに見ることがなかった。それに、非常に気分の変わりやすい人で、私はいつも父の顔色を伺うようにして生活していた。父のことが本当に恐ろしかった。
 私が家を出て働いて収入を得るようになってからは、ことあるごとに私に金をせびるようになった。父は働くことをやめて、ますますアルコールに溺れ、父の金の無心は、私の生活を蝕むようになっていった。そんな状態が続く中、口論になり、「もう2度と顔も見たくない。親子の縁もこれまで。これからは他人だ」と私が言い、「ああ。もう来ないよ。この金さえくれるなら」と父が言った。それが父との最後の会話となった。
 その2年後、父は路上で倒れ、住所不定者として運ばれた病院で亡くなった。警察からの連絡で、父の死を知った私が、最初に感じたのは安堵感だった。もうこれで父に脅かされることはないのだ、と。

 父との間に愛情を感じさせるような思い出など、いくら考えても出てこない。父が亡くなった後も、ずっとそう思ってきた。
 けれども、今なら、愛情の表現の仕方が下手な人もいるのだ、と理解できるようになった。私もやっぱりそうだから。
 父は弱い人だった。弱い人だから上手く生きることができなかったのだろう。自分の選んだ人生を受け入れることができなかった。私のことも含めて。
 彼は彼なりの方法で、彼にできる最善を生きたのだろう。私も私なりに生きてきた中で、選択したくてもできなかったこと、避けたかったけれども選択をせざるを得なかったことなどを重ねてきた。それを自分の責任とせずに、誰かの、あるいは何かのせいにして、言い訳をしている自分に気づいた時、父もそうだったのだろうかと思った。
 そう思ったときに、父と父との思い出と和解することができたような気がした。もう、父の夢に恐怖で飛び起きることもなくなった。
 私も、自分自身の弱さを受け入れつつある今は、自分自身との和解の糸口を見つけられたように思っている。
 父がいてくれたら、と思うようになった自分に驚きつつ。
新井 幸子 (千葉・会社員)
(特集-和解 7 2003/4/11)

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