1月11日 主の洗礼

第一朗読  イザヤの預言 42:1-4、6-7
(主は言われる。)見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない、この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼びあなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

第二朗読  使徒たちの宣教 10:34-38
(その日、)ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。」

福音朗読  マタイによる福音 3:13-17
そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

祈りのヒント
今日の福音で心に響いたのは、ヨハネに語るイエスの言葉です。イエスは言われます。
「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」
ヨハネは、自分こそイエスから洗礼を受けるべきであり、イエスが自分から受けるのは正しくないと思っていました。このイエスとヨハネの対話を見ていて、私は昔あるシスターからこう言われたのを思い出しました。「人間が思う正しさと、神が思う正しさは違うんですよ。」 イエスが言う“正しいことをすべて行う”とは、どういうことなのでしょう。イエスの言葉を受けて、ヨハネは自分の思う正しさを手放し、イエスの言われるとおりにします。
私たちも、ヨハネのようにイエスの言われるとおりに行っていけば、イエスの言う正しさがどういうことなのか見えてくるのでしょう。
ヨハネから洗礼を受けられたイエスに、神である天のおん父の声が届きます。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。
イエスの正しさとは、真(まこと)と言っていいのかも知れません。
イエスにとって真(まこと)である天のおん父の声がとても大切であったように、実に、私たち一人一人にとっても大切なものなのです。
(日曜日のみことば 2026-01-11)

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