1月12日 主の洗礼

第一朗読  イザヤ書 40:1-5、9-11
慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
高い山に登れ良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるなユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神
見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い 主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

第二朗読  テトスへの手紙 2:11-14、3:4-7
(愛する者よ、)すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。

福音朗読  ルカによる福音書 3:15-16、21-22
(そのとき、)民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

祈りのヒント
今日の福音で、イエスは両親と共に生活したナザレを離れ、福音のよき使りを宣べ伝えに出かけていきます。
イエスは、“出かけて”出会う人々に宣教するというよりもまず、人々と共にいて、その人たちと同じようにヨハネから洗礼を受け、そして共に祈られます。
このイエスの“人々と共にある姿”に、とても心打たれます。 イエスが人々と共にあり、祈っていると天が開け、聖霊がイエスの上に降ってきます。 そして、天から声がひびくのです。
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。
イエスの使命は、まさにこの天からの声のひびきを、ご自分の姿を通して、人々のもとへ届けることなのです。
イエスに注がれる天のおん父の愛が、イエスと共にある人々のうちにも注がれるよう、イエスと出会う一人一人の心のうちに、イエスに語りかけられたあの声が、同じようにひびくようにとの願いをこめて、イエスは、人々と共に在り祈られます。
私たちが祈る時、イエスが必ず共にいてくださり 、共に祈っていてくださることを信じ、感謝し、喜びを携えながら信仰の旅路を今日も歩んでいきたいと思います。
(日曜日のみことば 2024-01-12)

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