1月12日 年間第1木曜日

第一朗読  ヘブライ人への手紙 3:7-14
(皆さん、)聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。荒れ野であなたたちの先祖は わたしを試み、験し、四十年の間わたしの業を見た。だから、わたしは、その時代の者たちに対して 憤ってこう言った。
『彼らはいつも心が迷っており、わたしの道を認めなかった。』そのため、わたしは怒って誓った。『彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない』と。」
兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。

福音朗読  マルコによる福音書 1:40-45
(そのとき、)重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

祈りのヒント
病の苦しみに加え、宗教的、社会的に汚れたものとして人との関係も絶たれ、孤独のどん底から、彼は生きる可能性をイエスに懸けた。
イエスは皮膚病の人の体に直接触れ、清さと汚れの間に橋を渡し、神と人との命をつなぐ。
イエスの憐れみが流れ込むとき、神に与えられた命は重い皮膚病であろうとなかろうと、無条件で愛されていて、何ものにも代えがたい価値あるものだと気づかされる。
本来、わたしたちは皆イエスを必要としている。
救いの入り口はイエス! 決して諦めずに、弱さを抱えたそのままで、ィエスに向かって飛び込んでみよう。
(毎日のみことば 2023-01-12)

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