1月13日 年間第1金曜日

第一朗読  ヘブライ人への手紙 4:1-5、11
(皆さん、)神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためです。信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。
「わたしは怒って誓ったように、『彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない』」
と言われたとおりです。もっとも、神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていたのです。なぜなら、ある個所で七日目のことについて、「神は七日目にすべての業を終えて休まれた」と言われているからです。そして、この個所でも改めて、「彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない」と言われています。
だから、わたしたちはこの安息にあずかるように努力しようではありませんか。さもないと、同じ不従順の例に倣って堕落する者が出るかもしれません。

福音朗読  マルコによる福音書 2:1-12

数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

祈りのヒント
「罪を赦す」ことも、「床を担いで歩く」ことも、人の力で為し得ない。
イエスは、奇跡を通してそこに神がおられ、人は神の命につながって生かされていることに気づいてほしいと願っている。
「罪の赦し」という神の永遠の力に出会うとき、本来ある命の場、神の家に戻る道が開かれる。
神に赦されて存在し、神と共に歩める恵みの大きさを知るとき、わたしたちは深い感謝に後押しされ、苦しむ人をイエスのもとに運ぶものになっていく。
運ばれた人もやがて立ち上がり、神の命を共に歩みはじめる。
この救いの喜びを、共に賛美せずにいられないではないか!
(毎日のみことば 2023-01-13)

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