1月25日 年間第3主日(神のことばの主日)

第一朗読  イザヤの預言 8:23b-9:3
先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭、をあなたはミディアンの日のように折ってくださった。

第二朗読  コリントの信徒への手紙 一 1:10-:13、17
兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

福音朗読  マタイによる福音 4:12-23
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
《イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。》

祈りのヒント
イエスはガリラヤに退かれ、カファルナウムに来て住まわれた、とあります。イエスが住むところはどんなところなのだろう、と考えてみました。イザヤ書ではユダヤ民族の闇を記しています。イエスが宣教活動を始めようとしていた時代も、ガリラヤはローマ帝国という異教の民に支配され、人々は屈辱と貧困の暗闇の中で生きていました。また、パウロも第二朗読の中で「あなたがたの間に争いがある」と伝えており、教会の中でも闇が広がっていたことがわかります。では、今はどうでしょうか。この地球上にはたくさんの闇が広がっています。そこにイエスは「住まわれる」ということではないでしょうか。人と人との間の闇、自分の中にある闇。そこはカファルナウムであり、そこにイエスが住んでくださるのではないかという希望が観えてきました。
イエスは四人の漁師を弟子になさいます。その様子を観てみました。イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、ペトロとアンデレをご覧になりました。また、そこから進んで、ヤコブとヨハネをご覧になったと記されています。イエスは、この貧しい四人の漁師の全てをご覧になったのではないでしょうか。イエスの静かな暖かなまなざしと、「わたしについてきなさい」とイエスの招きを体験した四人。彼らはすべてを捨てて、すぐに従います。この瞬間から四人の生活が変わり、生き方まで変わってゆきます。
私たちは暗闇の中にいる時、自分の全てを知っておられる方の優しいまなざしを忘れているのではないでしょうか。そのまなざしは光であり、その光を心を開き、受け入れ信じる時、「悔い改めよ。天の国は近づいた」という声が聴こえ、現実の生活が少しずつ変わっていくような気がします。それは握っているものを捨てることや、自分の場所から離れることへとつながっていくのでしょう。
(日曜日のみことば 2026-01-25)

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