1月5日 主の公現

第一朗読  イザヤ書 60:1-6
(エルサレムよ、)起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい 王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。
目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから 娘たちは抱かれて、進んで来る。
そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ 国々の富はあなたのもとに集まる。
らくだの大群 ミディアンとエファの若いらくだが あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

第二朗読  エフェソの信徒への手紙 3:2,3b,5-6
(皆さん、)あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

福音朗読  マタイによる福音書 2:1-12
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、わたしの民 イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

祈りのヒント
『星の王子さま』の中に「大切なものは目に見えない」という一節があります。この意味として「本当に大切なものは、ただ単に目に映るものだけではなく、心の目で見ないと観ることができない」ということのようです。
きょうのみことばは、東方の占星術の学者たちがお生まれになった【ユダヤ人の王】を拝みにエルサレムのヘロデ王のもとを訪れる場面です。彼らは占星術の学者ですから、いつも天体の星を眺めていたのでしょう。それで、いつもと違う特別な星を見つけることができたのです。彼らは、直ぐさま【ユダヤ人の王】を拝むために旅支度をしてエルサレムに向かいます。
この占星術の学者が出てきた【東方】というのは、バビロンのことを指しているようです。もし、そうでしたら何らかの形でユダヤ人たちとの関わりがあったのかもしれません。ユダヤ人たちが及ぼした主なる神への信仰の姿は、当時のバビロンにも影響を及ぼし、歴史の中で生き続けていたと考えてみると、彼らが【ユダヤ人の王】を拝みに来たというのも偶然とは考えられません。
ヘロデ王は、彼らの言葉を聞いて不安を抱きます。それは、彼の地位や権力が危うくなるからでした。ユダヤ人たちにとって、【ユダヤ人の王】というのは、「わたしの民イスラエルの牧者となるからである」とありますように、【メシア】を指す言葉だったからです。
ヘロデ王は、祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、「メシアはどこに生まれることになっているのか」と問います。祭司長や律法学者たちは、【メシア】がどこでお生まれになるのかを知っていたのですが、占星術の学者たちのように【ユダヤ人の王】がお生まれになるという【星】に気づくことができなかったのです。
さて、この【星】というのは、私たちにとって【何】なのでしょうか。占星術の学者たちのように、日常の中でイエスの心、イエスの愛に気づくということではないでしょうか。私たちは、周りの人の親切な言葉掛けや気遣いに触れて【感謝の心】を持ったり、私たちの生活の中で【生かされている】と気づいたりする瞬間などで、イエスの【愛】を感じることがあるのではないでしょうか。私たちは、日常の中で【ユダヤ人の王】の【星】に気づくことができたらいいですね。
(日曜日のみことば 2025-01-05)

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