1月6日 主の降誕後第1金曜日

第一朗読  一  ヨハネの手紙  5:5-13
(愛する皆さん、)だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。 この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。証しするのは三者で、“霊”と水と血です。この三者は一致しています。わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。
神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。

福音朗読  マルコによる福音書 1:7-11  (または、ルカ 3:23、31~34、36、38)
(そのとき、ヨハネ)はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

祈りのヒント
今日の福音の冒頭は、洗礼者ヨハネが「罪の赦しのための悔い改めの洗礼」を述べ伝えていたと語っています。この洗礼自体は内面の変化を伴わなければならない象徴的な行為でした。ここでの「悔い改め」という言葉は、ギリシア語でメタノイアと言います。それは人生の意味と目的に対する見方、そしてその人生を自分自身でどのように生きるかについての根本的な変化を意味します。そして、過去の誤った、または傷ついた行動が自分の人生から消え去るように、自分の態度を完全に再編成する必要があります。
(毎日のみことば 2023-01-06)

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