1月7日 主の公現

第一朗読  イザヤ書 60:1-6
(エルサレムよ、)起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。
国々はあなたを照らす光に向かい 王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。
目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。
息子たちは遠くから、娘たちは抱かれて、進んで来る。
そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き おののきつつも心は晴れやかになる。
海からの宝があなたに送られ、国々の富はあなたのもとに集まる。
らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが あなたのもとに押し寄せる。
シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。
こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

第二朗読  エフェソの教会への手紙 3:2-3b、5-6
(皆さん、)あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

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福音朗読  マタイによる福音書 2:1-12
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、 お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

祈りのヒント
サン=テグジュベリの『星の王子さま』の中に「大切なものは、目に見えない」という一節があります。この本の中には、大人が忘れてしまった子どもの頃の感覚、興味、純粋さなどを、あらためて考えさせるような言葉がたくさん出てきます。
この「大切なものは、目に見えない」というのは、「大切なものは、心の目で見なければ見えない」ということを表しているようです。私たちは、いつの間にか忙しさやいろいろな欲によって、「心に余裕」がなくなっているのではないでしょうか。時には、私たちの心を鎮めて振り返る時を持つと、星の王子さまが伝えてくれた【大切なもの】を見ることができるのかもしれません。
きょうのみことばは、「東方の占星術の学者」がお生まれになったイエスを拝みに来る場面です。彼らは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」の【星】を見つけて、東方からエルサレムまで旅をしてきました。ヘロデは、彼らのこの「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」という言葉に動揺します。
ヘロデ王は、エルサレムの祭司長や律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているかを問いただします。なぜ、異邦人である東方の占星術の学者には、【星】が見えて、救い主を待ち望んでいたヘロデ王や祭司長や律法学者たちには、【星】が見えなかったのでしょうか。ヘロデ王は、自分の富や地位、そして王としての権力を固執するあまり、その【星】を見る目が曇っていたのかもしれません。
私たちは、【心の目】を研ぎ澄ましながら、お生まれになったイエスを示す【星】に気づくことができたらいいですね。
(日曜日のみことば 2024-01-07)

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