10月10日 年間第28主日

第一朗読  知恵の書 7:7-11
わたしは祈った。すると悟りが与えられ、願うと、知恵の霊が訪れた。
わたしは知恵を王笏や王座よりも尊び、知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。
どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。知恵の前では金も砂粒にすぎず、知恵と比べれば銀も泥に等しい。
わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し、光よりも知恵を選んだ。知恵の輝きは消えることがないからだ。
知恵と共にすべての善が、わたしを訪れた。知恵の手の中には量り難い富がある。

第二朗読  ヘブライ人への手紙 4:12-13
神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができ(ます。)更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。

福音朗読  マルコによる福音書 10:17-30
(そのとき、)イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
《ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」》

祈りのヒント
今日の福音では、イエスに「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねた人とイエスの出会いが語られています。
イエスは、彼の問いに次のように答えられます。
「“殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え”という掟をあなたは知っているはずだ。」
すると彼は言います。
「そういうことはみな、子供の時から守ってきました。」
イエスは、彼を見つめ、慈しんで言われます。
「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。」
このイエスと彼のやり取りは、実に感動的です。
イエスは、彼の子供の時からの歩みと永遠の命にあこがれる思いを尊重し、そのような彼に慈しみのまなざしを注がれます。
そうです。イエスは、わたしたち一人一人の人生の歩みと永遠の命への渇望を尊んでくださるのです。慈しみのまなざしでもって。
しかし、彼はイエスの言葉に気を落として悲しみながら立ち去っていきました。
たくさんの財産をもっていたからです。
イエスも、とても悲しかったでしょう。
イエスは、彼との出会いを通して、弟子たちや私たちに
“自分より弱い人や貧しい人への思いやりや優しさを行いで表すことが、天に富を積むことであり、それが永遠の命を受け継ぐ道である”と教えてくださっています。

イエスは弟子たちに言われます。
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだやさしい。」
これを聞いた弟子たちは、びっくりして「だれが救われるのだろうか」と言い合います。
イエスはまた、彼らを見つめて、彼らに慈しみのまなざしを注いで、言われます。
「神にはできる。神は何でもできるからだ。」

このイエスの言葉に、救いを感じます。
神の救いは、すべての人に開かれている。神の恵みと慈しみは人の思いを遥かに超え、計り知れない。

すべての人の救いを望んでくださる主よ
あなたを待ち望みながら、日々歩んでいけますように。

(日曜日のみことば 2021-10-10 )

ページ上部へ戻る