,

10月1日 聖テレジア(幼いイエスの)おとめ教会博士

第一朗読  ヨブ記 19:21-27
(ヨブは言った。)憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ 神の手がわたしに触れたのだ。あなたたちはわたしの友ではないか。なぜ、あなたたちまで神と一緒になって わたしを追い詰めるのか。肉を打つだけでは足りないのか。
どうかわたしの言葉が書き留められるように 碑文として刻まれるように。たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され いつまでも残るように。わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようともこの身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。

福音朗読  ルカによる福音書 10:1-12
(そのとき、)主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」

祈りのヒント
「行きなさい」と言われて、子羊のような自分が行く先は、狼の群れの中。それも財布も自分の荷物もない状態・・・。
72人はどのような思いで、出かけていったのでしょうか。
あるのはイエスへの想いと、同じ想いを持つもう一人の仲間だけ・・・。
先の見えないこの世の中で、明日を迎える私たちが毎日を踏み出して生きる時も同じかもしれません。
(毎日のみことば 2020-10-01)

ページ上部へ戻る