10月11日 年間第27木曜日

第一朗読  ガラテヤの信徒への手紙 3:1-5
ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに……。あなたがたに“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。

福音朗読  ルカによる福音書 11:5-13
(そのとき、イエスは)弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

祈りのヒント
飢えている友のために、常識を逸しても、睡眠をけずっても、友のパン(命)を得るために、一生懸命(父に)頼んで、執り成している人の姿は、イエスの姿ではないか?

自分が得るためではなく、相手が得るために祈る。わたしたちの執り成しの祈りは、イエスの似姿につながっていないか?喜んで祈ろう! 諦めずに求めていこう!

自分が何を願っているのかわからないような、どんな幼い祈りも、その人の救いにつながるように、計らってくださる御父がいる。独り子も与え、聖霊も与えて、御自分を求めるようにと、忍耐強く、待っていてくださるのは御父ではないか?!

心の門を開くのは、わたしたちのほうだ!どんな時も、父なる神を求め、一人一人の為すべき道を歩めるように!

心からの感謝をもって、与えてくださる聖霊を、受け取っていこう!

(毎日のみことば 2018-10-11)

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