10月11日 年間第28火曜日

第一朗読  ガラテヤの信徒への手紙 5:1-6
(皆さん、)自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。
ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。

福音朗読  ルカによる福音書 11:37-41
(そのとき、イエスは話しておられたが、)ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。」

祈りのヒント
今日の福音は、目に見えるものだけですべてを判断してしまうファリサイ派の姿を表しています。細かく律法を守ることのみ重きを置いている彼らは、その奥底にある深いものを見ようとはしません。ファリサイ派的なあり方にならないように、見極める賢慮な心を願いましょう。
(毎日のみことば 2022-10-11)

 

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