10月12日 年間第27土曜日

第一朗読  ガラテヤの教会への手紙 3:22-29
(皆さん、)聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。 信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

福音朗読  ルカによる福音書 11:27-28
(そのとき、)イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」

祈りのヒント
聖母マリアはイエスの母親であると同時に、常に神の言葉に耳を傾け、それを実行する人でした。マリアはイエスを産んだ祝福された方です。しかし、これは私たち全員にとっての共通の祝福でもあります。なぜなら、イエス・キリストは神の言葉であり、神の言葉は神ご自身としても理解されるからです。私たちが神の言葉を愛し、それを読み、頻繁に瞑想するとき、私たちは心の中に神を運ぶ母親となり、私たちに幸福をもたらします。
(毎日のみことば 2024-10-12)

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