10月14日 年間第28主日

第一朗読  知恵の書 7:7-11

わたしは祈った。すると悟りが与えられ、願うと、知恵の霊が訪れた。わたしは知恵を王笏や王座よりも尊び、知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。知恵の前では金も砂粒にすぎず、知恵と比べれば銀も泥に等しい。わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し、光よりも知恵を選んだ。知恵の輝きは消えることがないからだ。知恵と共にすべての善が、わたしを訪れた。知恵の手の中には量り難い富がある。

第二朗読  ヘブライ人への手紙 4:12-13

神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができます。更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。

福音朗読  マルコによる福音書 10:17-30

(そのとき、)イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」

《ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。」》

 

祈りのヒント
今日の福音では、イエスと金持ちそして弟子たちとの語らいが描かれています。
金持ちがイエスに尋ねます。「永遠の生命を受けつぐには、何をすればよいでしょうか。」
イエスの弟子たちも、金持ちのこの質問を聞きながら同じ思いでイエスの応えに注意深く耳を傾けていたに違いありません。
どうしたら本当に人は幸せになるのか・・・これは人間の心深くにある問いなのかもしれません。
それでイエスは、問いかける金持ちや弟子たちを“慈しんで見つめられた”と、マルコは記しています。
イエスに従うことを願う者にとっての幸いは、イエスのこの慈しみのまなざしに、出逢うことだとマルコが語っているように心に響きます。
ある時、イエスは聖霊によって喜びにあふれてこう言われました。
「これらのことを知恵あるものや賢い者には隠して幼子のような者にお示しになりました。」(ルカ10,21)
幼子のまなざし・笑顔には、どのような人の心も和ませ、愛の心を呼び覚ます力があります。
そして、イエスは生涯を通じてご自分が天の御父の最愛の御子であることを示し続けて下さいました。金持ちとイエスとのやり取りの後に「誰が救われるのだろうか」と互いに言い合っている弟子たちにイエスは、「子たちよ」と優しく呼びかけられています。そうして、慈しみのまなざしをもって、一人一人が神に愛された者であることを示してくださいます。イエスのこのまなざしに出逢う事によって、イエスが示してくださる幸いの道、「持っているものを、貧しい人々と分かち合う」道へと導かれるのでしょう。神の恵みが、一人一人の上に豊かにありますように。
(日曜日のみことば 2018-10-14)

ページ上部へ戻る