10月15日 聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士

第一朗読 ローマ 4・1-8

(皆さん、)肉によるわたしたちの先祖アブラハムは、何を得たと言うべきでしょうか。もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書は何書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」とあります。ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされます。しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。
「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、
幸いである。
主から罪があると見なされない人は、幸いである。」

福音朗読  ルカによる福音書 12:1-7
(そのとき、)数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。
友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

祈りのヒント
今日のイエスの言葉は力強い。
神はわたしたちの存在を「まさった」存在として認めてくださる。
そしてひとたびもわたしたちのことを忘れたことはない、と。
この言葉にすがっていける。神は見捨てない、神はわたしがどのような状態であっても
心にとめてくださる。安心して一日を過ごそう。
(毎日のみことば 2021-10-15 )

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