10月15日 聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士

第一朗読  ガラテヤの教会への手紙 5:1-6
(皆さん、)自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。
ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。

福音朗読  ルカによる福音書 11:37-41
(そのとき、イエスは話しておられたが、)ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。」

祈りのヒント
わたしたちの心の内側は、様々なエゴで一杯だ。満たされないエゴからは悪意も生じる。イエスに助けられながら、一つ一つのエゴを手離していけますように。執着から引き離される痛み、辛さに、清められながら、少しずつ神のものになっていく道には希望がある。神の器は丸ごとのわたし。空になるほど愛の恵みに満たされる。
主よ!見える手を、足を、言葉を、見えない愛の心から差し出していけますように!
(毎日のみことば 2024-10-15)

ページ上部へ戻る