10月17日 聖イグナチオ(アンチオケ)司教殉教者

第一朗読  ローマの信徒への手紙 3:21-30a
(皆さん、)今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に、神は唯一だからです。

福音朗読  ルカによる福音書 11:47-54
(そのとき、イエスは言われた。)「あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、何か言葉じりをとらえようとねらっていた。

祈りのヒント
本当は自分たちも、預言者を殺した先祖と同じ側にいるのに、預言者の墓を建てて敬い、まるで自分たちが神の言葉を伝える預言者の側にいるかのようにふるまう偽善…心に潜む自分のエゴを認めようとしない罪があることを、わたしたちも(同様に)、イエスから指摘されそうだ。
「今の時代のものたちは責任を問われる」とおっしゃったイエスご自身が、十字架上で、その問われる責任を引き受けてくださり、わたしたちもイエスを殺した子孫に属しているのに、イエスに属するものとしての恵みをいただいた。
律法の「知識の鍵」は、全ての人に与えられ、幸いへと向かう心の扉を開けるが、鍵穴がエゴでふさがっていれば扉を開けることはできない。感謝をもって、自分のエゴの愚かさや過ちを、素直に認める恵みを願っていこう。

主よ!あなたが問う「不幸」ではなく、あなたの「幸い」に立ち戻ることができますように!

(毎日のみことば 2019-10-17)

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