10月17日 聖イグナチオ(アンチオケ)司教殉教者

第一朗読  ガラテヤの信徒への手紙 5:18-25
(皆さん、)霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。

福音朗読  ルカによる福音書 11:42-46
(そのとき、イエスは言われた。)「あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」
そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。」

祈りのヒント
正義の実行と神への愛、それは、神の正義を実行し、神を愛し、敬い、従うことです。
神を愛する時、わたしの思いは御手の中で溶けてなくなり、ただ神のみ心が行われることを望みます。
自分への挨拶を求めるのではなく、わたしから声をかけ、その方の重荷を共に担わせていただきます。
さあ、勇気を出して友への一歩を踏み出しましょう。
(毎日のみことば 2018-10-17)

ページ上部へ戻る