10月29日 年間第30金曜日

第一朗読 ローマ 9・1-5
(皆さん)わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

福音朗読  ルカによる福音書 14:1-6
安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」彼らは、これに対して答えることができなかった。

祈りのヒント
硬直した社会の中で生きるとき、あるいは悪い方向へと社会が押し流れていくとき、私たちはどのような態度を取るべきなのだろうか。イエスの問いかけに律法の専門家やファリサイ派の人々は「黙っていた。」何も答えない、行動で示さないことも、一つの態度表明にちがいない。ドイツのある哲学者は語った。「何もしないことも罪である。」
イエスが尊ぶ命のために、わたしは声をあげます。
(毎日のみことば 2021-10-29 )

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