日曜日のみことば
10月5日 年間第27主日
第一朗読 ハバククの預言 1:2-3、2:2-4
主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、あなたは聞いてくださらないのか。
わたしが、あなたに「不法」と訴えているのにあなたは助けてくださらない。
どうして、あなたはわたしに災いを見させ労苦に目を留めさせられるのか。
暴虐と不法がわたしの前にあり争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。
主はわたしに答えて、言われた。「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように板の上にはっきりと記せ。定められた時のためにもうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
第二朗読 テモテへの手紙 二 1:6-8、13-14
(愛する者よ、)わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。
キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。
福音朗読 ルカによる福音 17:5-10
使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
祈りのヒント |
S N Sの中に料理のレシピが載っているものがあります。時々、私はそれを見て「簡単で低コストでさらに時間が短い」というのをピックアップして知人や親戚にシェアしています。何人かは、実際にそれで料理をしてリアクションを送ってくれます。その中の一人は、「一日の仕事を終えてヘトヘトになって家族のために夕飯を作るときに助かります」と返事を返してくれました。 確かに、仕事の後に夕飯を作るというのが当たり前になっているのですが、作る方にしてみれば辛いときもあるかもしれません。しかし、その辛さも食べている家族が美味しそうに食べているところや、「美味しい」という言葉に癒されるのではないでしょうか。 きょうのみことばは、使徒たちがイエスに「わたしどもの信仰を増してください」というところから始まります。使徒たちの中でも、「信仰」の必要性を感じたのではないでしょうか。イエスは、彼らに「……その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰を締め、わたしが食事を済むまで給仕をしてくれ。お前たちはその後で食事をしなさい』と言いうのではなかろうか。……」と言われます。 このイエスの話は、一見厳しい言葉のように聞こえます。しかし、「信仰」を増すためには、主人への奉仕の中に【愛】が必要なことを伝えようとしているのかもしれません。僕が主人に対して「給仕」をするのを【義務】として思っている間は、ただ単に仕事となってしまいますが、そこに【愛】が加わるとそれは、【奉仕】に変わります。 私たちは、与えられた「仕事」をただ行うだけではなく、【愛】が加わった【奉仕】に変えることができる【信仰】をいただけることができたらいいですね。 |
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(日曜日のみことば 2025-10-05) |