10月9日 年間第28主日

第一朗読  列王記 下 5:14-17
(その日、シリアの)ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。
彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。」

第二朗読  テモテへの手紙 二 2:8-13
(愛する者よ、)イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。次の言葉は真実です。
「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。
耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。
キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。
わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。
キリストは御自身を 否むことができないからである。」

福音朗読  ルカによる福音書 17:11-19
イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

祈りのヒント
今日の福音は、イエスと10人の重い皮膚病を患っている人との出会いの物語です。その最後に、イエスが語った「あなたの信仰があなたを救った」というみことばが、心に響きます。
以前、約10年くらい前にある修道院を訪問した時のこと。15年ぶりに再会した1人のシスターと一緒に、夕食の用意をしながら話をしていました。シスターから、「私たちの信仰は本物であるように。真の信仰をもてるといいなぁ」と言われたことを、今日の福音を読みながら思い出しました。
10人の重い皮膚病を患っている人がイエスを出迎え、遠くからイエスに叫びます。「わたしたちを憐れんでください。」
そして、イエスの言葉を信じて祭司のところに出かけます。
イエスの母マリアが、天使のお告げを受けた後にエリザベトを訪問し、エリザベトから「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と言われたように。
そして10人のうちの1人は、神を賛美し、イエスのもとへ戻っていきました。
この福音を黙想しながら1日を過ごそうと思い、今朝いつものように、ごみ置き場へごみを出しに行きました。すると近所のおばあさんが立っていて、声をかけられました。「何かいいことはあるかい?」
私は言いました。「あるある。いっぱいあるよ。」おばあさんは、「そりゃいいねぇ」と言って笑っていました。
神の恵みは、日々新たに。あふれるほど注がれているのです。
そう信じ生きること。イエスが生きたように。
今日も、イエスを心にお迎えし、イエスと共に神を賛美し感謝できますように。
♪あわれみの主をほめ歌え
あわれみの主を アレルヤ♪
(日曜日のみことば 2022-10-9)

ページ上部へ戻る