11月11日 聖マルチノ(ツール)司教

第一朗読  テトスへの手紙 3:1-7
(あいするものよ、)人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならないこと、また、だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならないことを。わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。

福音朗読  ルカによる福音書 17:11-19
イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

祈りのヒント
不治の病を癒してほしいと自分が求めた憐れみより、もっと深く大きな神の愛の憐れみに触れたサマリア人の、全身にこみあげてくる喜びはいかばかりか! 神を賛美して戻るサマリア人と共に、イエスの足もとにひれ伏してみよう。
ひれ伏す目線には、自分の姿は見えず、イエスの姿だけが、はっきり、大きく見える。解放された感謝と喜びのなかに、自分を超えて、イエスは立っている。
神殿ではなく、イエスの足もとこそ、全存在を委ねることができる救いの始発点! わたしたちは、いつもそこから立ち上がっていく!
(毎日のみことば 2020-11-11)

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