11月12日 聖ヨサファト司教殉教者

第一朗読  知恵の書 2:23-3:9
神は人間を不滅な者として創造し、御自分の本性の似姿として造られた。悪魔のねたみによって死がこの世に入り、悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り、この世からの旅立ちは災い、自分たちからの離別は破滅に見えた。ところが彼らは平和のうちにいる。人間の目には懲らしめを受けたように見えても、不滅への大いなる希望が彼らにはある。わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る。神が彼らを試し、御自分にふさわしい者と判断されたからである。るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、焼き尽くすいけにえの献げ物として受け入れられた。主の訪れのとき、彼らは輝き渡り、わらを焼く火のように燃え広がる。彼らは国々を裁き、人々を治め、主は永遠に彼らの王となられる。主に依り頼む人は真理を悟り、信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。

福音朗読  ルカによる福音書 17:7-10
(そのとき、イエスは言われた。)「あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

祈りのヒント
イエスの要求は高くありませんか。
人を平等に扱わなければならない、差別をしてはならない、と福音のあちこちで述べられているのに、ここでは上下関係をはっきりとさせているように感じます。
しかしこれこそ自分が謙遜になることのチャンスなのではないでしょうか。
人はつい見返りや報酬、誉め言葉を求めてしまいます。
そのために人間関係が困難になる場合もあります。
けれどもわたしたちはイエスの生き方、言葉を知っています。
それを実践するのがこの世でのわたしたちの生き方です。
その生き方をとことん問い詰め、そして実践する勇気を願いましょう。
自分のことは主だけがご存じであればOK、というくらいの生き方をつき詰めていきたいものです。
(毎日のみことば 2019-11-12)

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