日曜日のみことば
11月23日 王であるキリスト

第一朗読 サムエル記 下 5:1-3
(その日、)イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」
イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。
第二朗読 コロサイの教会への手紙 1:12-20
(皆さん、わたしたちは、)光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝(しています。)御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
福音朗読 ルカによる福音 23:35-43
(そのとき、議員たちはイエスを)あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
| 祈りのヒント |
| この御言葉を繰り返し読んでいると、真ん中にイエスの十字架、その右と左に犯罪人の十字架という光景が観えてきました。さらに、イエスを真ん中にした左右の世界が、全く違うことにもひきつけられました。犯罪人の一人は「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と、イエスをののしります。この人は自分の考え、欲望だけをイエスにぶつけます。そこは攻撃的で騒がしい世界に観えます。もう一人の方は、「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことはしていない」と言います。この人は、神を畏れ、自分の内側を見つめ、罪深さを認め、回心し、今の苦しみを受け入れています。また、私にはこの人が、自分の罪からの苦しみとは違い「何も悪いことはしていない」イエスの苦しみに、心を痛めているように感じます。こう言った後、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と、イエスに自分の望みを伝え、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」という救いのことばをいただきます。そこは共に苦しみの中にありながらも、静かで平安な世界が広がっているように観えます。この人は十字架上のイエスの横にいて、どのような体験をし、変容していったのでしょうか。 わたしたち一人一人の中には、十字架につけられたイエスを真ん中にして、この全く違う心の世界があるのではないでしょうか。日常生活の中で、自分の、また隣人の苦しみを感じ、心が痛むときに、神でありながら沈黙のうちに苦しまれるイエスを観つめると、何か新しい気づきがいただけるのではないでしょうか。 |
![]() |
| (日曜日のみことば 2025-11-23) |

