11月3日 年間第31主日

第一朗読  申命記 6:2-6
(モーセは民に言った。)「 あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守(るなら、)長く生きる。イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える。
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め(なさい。)」

第二朗読  ヘブライ人への手紙 7:23-28
(皆さん、)レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。

福音朗読  マルコによる福音書 12:28b-34
(そのとき、一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。)「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

祈りのヒント
あるコマーシャルで「そこに愛はあるんか」というセリフを使ったものがありました。そして、最後には必ず「愛がいちばん」という言葉で終わるのです。もちろん、このコマーシャルを作った人は、カトリックとは全く関係ない人たちだと思うのです。しかし、この二つの言葉は全国の人々の耳に入っていることでしょう。このコマーシャルの本当の意図は別のところにあると思いますが、すごい宣教をしているような気がいたします。
きょうのみことばは、一人の律法学者がイエスに、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と質問するところから始まっています。みことばには省かれていますが、「彼らの議論を聞いていた」という言葉があるのですが、それまでは律法学者やファリサイ派の人々やサドカイ派の人々がイエスの言葉尻をとらえて陥れようとして、「皇帝への税金」、「復活についての問題」について質問していたのです。
この律法学者は彼らの議論を聞き、うんざりして、「そのような議論は聞きたくない」と思ったことでしょう。彼は、他の人々と違って真剣にイエスに質問をしたのです。イエスは、ユダヤ人が小さい頃から唱え、慣れ親しんでいた「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一である」という言葉から始まるシェマーと呼ばれる箇所を答えられます。
彼は、イエスのお答えに対して、「先生、おっしゃる通りです」と答えた後に、自分なりに受け入れ、イエスに的確に返答しています。イエスは彼に「あなたは、神の国から遠くない」と言われます。
前の律法学者やファリサイ派の人々は、【律法】を【文字】として研究し議論をしていました。そのため単なる掟であって、そこには、いちばん大切な【愛】は入っていませんでした。イエスは、そのような彼らに対して「愛することがいちばん」ということを知らせようとしたのではないでしょうか。
私たちは、改めて「神への愛」、そして「隣人への愛」を思いながら日々の生活をすることができたらいいですね。
(日曜日のみことば 2024-11-03)

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