日曜日のみことば
11月30日 待降節第1主日

第一朗読 イザヤの預言 2:1-5
アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。終わりの日に主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
第二朗読 ローマの教会への手紙 13:11-14a
(皆さん、)あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。
福音朗読 マタイによる福音 24:37-44
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
| 祈りのヒント |
| 今、イエスはオリーブ山で弟子たちに語っている(マタイ24:3)。「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るから」と。 800mくらいの山は小高いと言えるのだろうか。聖地巡礼に行ったことのある方なら、すぐに想像できるだろう。行ったことがないわたしのような者にとっては想像するしかない。でも、800mは見晴らしが良い。それくらいはわかる。きっと、神殿も見下ろせるのではないか。あの神殿の中で行われる祭儀のことも、山の頂上から眺めることができる。 このような高いところから、見通しの良い眺めを弟子たちと一緒に共有しながら、それでもイエスは、天使たちも子も知らない、ノアの洪水の時のように人間界には分からないことがあるんだということを語っている。父だけがご存知の、その時があるのだと。(マルコ13:32参照) このように、いつ来るかわからないことだがきっと来るという話は、誠に恐ろしいものだ。まるで、自分自身の死がいつ訪れるかわからないという決定的なことが起こる(と自覚する)ことにも似ている。身震いがするし、なんとも形容のしがたい感情が湧き起こる。 しかし、イエスはまるで預言者のように、その時が来るんだと弟子たちに、そして、今日もわたしたちに語る。その時には、イエスご自身が捕まえられるし、イエス自身が裁判にかけられるし、イエス自身がひどい鞭打ちの刑にあった挙げ句の果てに殺される。そして、殺されて、墓に埋められ、もうすべてが終わりだと思って部屋に閉じこもっていたとしても、イエスがまた弟子たちに、そして、わたしたちに現れてくれる……。 オリーブ山で今、見晴らしいの良い眺めの中で、彼は弟子たちに、そして、わたしたちに語ってくれているが、それは、果たして、どの段階のイエスなのか。もしかしたら、復活後のイエスなのかもしれない。彼は時空を超えて、生きている時も、苦難の真っ最中も、そして、復活して、わたしたちのすぐそばにいて、用意しなさいと語ってくれる。あなたが用意すべきことは何なのか? あなたが目を覚まして直面すべきことは、対峙すべきことは何なのか? 彼があなたを励ましてそうするように一緒にいてくださる。 いつそれが到来するのか、どこに到来するのか、誰も知らない。天使さえも、分からない。しかし、準備することはできる。ただ、準備することは……。 だから、良い準備をしよう。待降節の始まりだから。 クリスマス・パーティーに着て行く洋服の準備だけでなく、クリスマス・プレゼントの買い物の準備だけでなく、はたまた、クリスマスの食卓のご馳走の準備だけでなく(それらはすべて楽しいことなのではあるが……)、あなたに向かって到来するだろうものに対して、あなたが真摯に応答できるように、良い準備をしよう。 |
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| (日曜日のみことば 2025-11-30) |

