11月6日 年間第31水曜日

第一朗読  ローマの信徒への手紙 13:8-10
(みなさん、) 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

福音朗読  ルカによる福音書 14:25-33
(そのとき、) 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」

祈りのヒント
~イエスの弟子になる条件~

大勢の群衆のように、イエスについていくだけでは、イエスの弟子になるということではないのです。

今日の箇所におけるイエスは、弟子になる三つの条件を挙げています。それらは、「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命までも憎み」、「自分の十字架を背負って」、そして、「自分の持ち物を捨てる」ということです。この三つの条件を満たさなければ、イエスの弟子になれないということを、明らかになさるのです。

今日の福音書が、私たちが「群衆」のようにイエスについて行っているのか、あるいは「弟子」としてイエスについて行っているかを振り返えるきっかけになるのではないでしょうか。
イエスより、家族やこの世の名誉を大事にしているでしょうか?
あるいはそれらより、イエスの弟子であることの方を大事にしていますか?

(毎日のみことば 2019-11-06)

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