11月7日 年間第31木曜日

第一朗読  ローマの信徒への手紙 14:7-12
(皆さん、) わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。こう書いてあります。
「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる』と。」
それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。

福音朗読  ルカによる福音書 15:1-10

(そのとき、) 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。
あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」

祈りのヒント
~神様と「かくれんぼ」をして遊ぶ~
「一人の罪びとが悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」(ルカ15.10)子どものころに、皆さんは「かくれんぼ」をして遊んだことがありますか?子どもは「かくれんぼ」が大好きです。夢中になって遊びます。不思議なことに、大人も神様と一緒にこの遊びをしたいようです。創造の時、神様は最初の人間アダムとエバを捜しましたが、人間は神様から離れて隠れてしまいました。(創世記3参照)。

「見失う」「さがす」「喜ぶ」「一緒に喜ぶ」という四つの行動から、神様はいかに私たちを大切にしてくださっているかわかります。「見失った羊を見つけ出すまでの羊飼い」「無くした銀貨を、ともし火をつけ見つけるまで念を入れて探した女」という物語において、人間が神様との関係を薄くしてしまい、結果的に神様との親しい関係を失ってしまうということが分かります。そのため、イエスは、人間を父である神様のところに連れて行くために、この世に来られました。

あなたは、迷子になっていることに気付いているのでしょうか?あなたを求めている神様の声に耳を傾けましょう。神様との親しい関係の中で幸せに暮らしていますか?神様と共に、失われた兄弟姉妹を見つけるまで捜しましょう。

(毎日のみことば 2019-11-07)

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