12月10日 待降節第2月曜日

第一朗読  イザヤ書 35:1-10
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ 野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。弱った手に力を込め よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」

そのとき、見えない人の目が開き 聞こえない人の耳が開く。そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり 乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは 葦やパピルスの茂るところとなる。そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ 汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ 愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず 獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み 主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて 喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え 嘆きと悲しみは逃げ去る。

福音朗読  ルカによる福音書 5:17-26
ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。

祈りのヒント
イエスは、罪を赦すことも、病を癒すことも、両方ができる神の力がある方!
イエスを頼り、イエスを求めてくる人々に向けられるイエスの愛は、その人の弱さ、足りなさを、そのままに受け入れて祝福する慈しみの愛だ!
神に向かって!命に向かって!歩めるようにと、わたし(たち)を無条件で引き受けて、神の愛のなかに招いてくださる。
イエスに癒され、赦されるという体験をとおして、はじめて、わたし(たち)は、神にも、自分にも、心を開くことができる。
寝たきりの人が立ち上がったように、身動きできなかったものから自由になって、神への賛美と感謝を取り戻そう。
大転換の喜びに連なろう。
わたし(たち)の救いとは、主イエスに、こんなにも愛されている!と気づくこと。
主よ! どんなに阻まれても、あなたに近づく熱い思いを失わず、必要な人があなたの愛に出会うために、わたしも運ぶ人になって、信仰の力を合わせていきたいのです!
(毎日のみことば 2018-12-10)

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