12月11日 待降節第2火曜日

第一朗読  イザヤ書 40:1-11
慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。

呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。

呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

高い山に登れ良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い 主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

福音朗読  マタイによる福音書 18:12-14
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

祈りのヒント
迷子は、自分の居場所も、自分の戻る道もわからない。
小さな子供が迷子になれば、親は、わが子を探しに探す。見つかれば、「無事でよかった!」それ以外の言葉はない。
信仰の歩みにおいて、疎外されて、不信や絶望の闇に陥ったり…好き勝手に自由を求めて、放縦の網にかかってしまったり…
人は様々に迷い出ることがあっても、羊飼い(イエス)の心に、1匹と99匹の線引きはないだろう。
一人も失われてはならない、かけがえのない命として、愛をもって、一人、一人に、命を賭けて関わってくださる。
わたしたちは皆、神に頼らなければ生きていけない小さな者、あるときは1匹のほうになり、あるときは99匹のほうになる。
1匹の離れている兄弟にも、分かち合う心をもって、祈り合っていこう。
神の大きな配慮のなかで、イエス・キリストという戻れる居場所をいただいているわたしたち。
この方に導かれて、人生を歩める大きな幸いを、感謝せずにいられないではないか!
(毎日のみことば 2018-12-11)

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