12月15日 待降節第2土曜日

第一朗読  シラ書(集会の書) 48:1-4、9-11
(そのころ、)火のような預言者エリヤが登場した。彼の言葉は松明のように燃えていた。彼は人々に飢饉をもたらし、その熱意をもって人々の数を減らした。彼は主の言葉によって天を閉ざし、三度、火を降らせた。エリヤよ、あなたはその驚くべき業のゆえに、どれほどほめたたえられたことだろうか。あなたと等しく誇りうる者があろうか。あなたは火の旋風に包まれ、火の馬の引く車に乗せられ天に上げられた。あなたは、書き記されているとおり、定められた時に備える者。神の怒りが激しくなる前に、これを静め、父の心を子に向けさせ、ヤコブの諸部族を立て直す者。あなたを見る者、また、愛のうちに眠りについた者は幸いである。確かに、わたしたちも生きるであろう。

福音朗読  マタイによる福音書 17:10-13
(山を下りるとき、弟子たちは)イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。

祈りのヒント
悔い改めて、自分を変えることを求めるエリヤより、エリヤの力で全てが変えられていく、ご利益のエリヤのほうに、わたし(たち)の心は魅かれる。
幸せは願うが、苦しみには与りたくない。期待どおりではない神の真実を、現実のなかで認めていくことは難しい。
真実に心を閉ざし、ヨハネの首を切り、イエスを十字架につけながら、それでもなお、エリヤでないエリヤを待ち望み、メシアでないメシアに期待をもって、自分の思いに囚われ続ける旧約の人の姿を、笑うことはできない。わたしたちの心を神に向かって開かせてくれる、罪からの解放の道筋には、神に選ばれた人が、神のみ旨に従い通した犠牲の愛がある!その愛のおかげで、今、わたしたちは神の恵みを見出していける!
「エリヤはすでに来たのだ」
主よ! 心に巣食う根深い自分への囚われに気づかせて下さい。
見えない神の真実を、真実の(姿の)ままに受け取っていける深い信仰を、育んでいけますように!
(毎日のみことば 2018-12-15)

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